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2011年3月19日 (土)

校長先生からの「メッセージ」

 この度の地震に際しては、様々な情報があります。
ネットは真偽を確かめる必要もあり、携帯ではチェーンメールの弊害も
言われていましたが、そのなかで心を打つメッセージがありました。
もう多くの人の話題になっているようですが、私も渡辺先生を知る者として
掲載させて頂きます。

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

全文はこちらのHPをお読みになって頂きたいのですが、
立教学院は卒業式(中学も高校も)を中止にしてしまったらしく、
実は私たちの間でも話題になっていました。

そこで立教新座中学・高校のHPを開くと校長先生からのメッセージが
掲載されていました。

現在の校長先生は、渡辺憲司先生です。
渡辺先生は、つい先ごろまで立教大学の教授でいらした方で
日本の近世文学研究者として著名な方です。

実は私は、立教大学大学院時に近世の研究をしていましたが、
その分野で有名な渡辺先生に教えていただいたことがあります。
(以前、先生の守備範囲の広さををこのブログでも紹介したことがあります!)
渡辺先生が今回書かれたこのメッセージを読んで、先生の日頃のお考えと
いつも学生に対して真剣に向き合っていた大学時代の姿勢を思い出し、
思わず読み入ってしまいました。

○高校を卒業する生徒へのメッセージ

(卒業に際してのお祝いなど・・・前略して引用させていただきます)

諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、

諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行く

ことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。

いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。

新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準に

あるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ

少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権

意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、

このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人

はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。

そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する

者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯で

あれ。君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に

行くのか。誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。

現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という

名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。

諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で

許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、

自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、

それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中

下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんな

ことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いて

くれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。

荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。

海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ること

なのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する

時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを

抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。

男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。

別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時の

この卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。

愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

(以下、略)

全文は公式HPでお読みください。

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